◆常に、全力で
松井珠理奈の足跡を振り返るうえで、もうひとり、欠かせないキーパーソンがいる
SKE481期生で、グループの立ち上げから現在まで、ずっと珠理奈を見守り、陰の支えとなってきた大矢真那だ
最終オーディションの直後、SKE48から2人が「AKB0じ59分(AKBINGO!の前身)」に出演することになり、そのメンバーに松井珠理奈と大矢真那が選ばれた
番組収録に向かう日、新幹線の乗り場で待っていた大矢(当時17歳)には、小学生の珠理奈がひどく大人びて見えた。自分から色々と話しかけてくる珠理奈と大矢はすぐに打ち解け、新幹線の揺れに合わせてオレンジジュースの紙コップが回るのを見てはしゃぐ姿に、大矢は「ああ、やっぱりこの子は小学生なんだな」と感じたという
「AKB0じ59分」の中で2人の出番は1分程度。”SKE48のメンバー決定!”という前振りの後に、それぞれがAKBの推しメンを答えるという企画だった
その時、珠理奈はAKBのメンバーを誰一人知らなかった。芸能界に憧れ、地元・愛知の活動なら家からも通えるという、ごくシンプルな理由でオーディションを受けていたからだ。大矢の推しメンは「峯岸みなみ」、珠理奈はその場でメンバーの写真を見て「小嶋陽菜」に決めた
そして本番。大矢は事前の打ち合わせ通り、推しメンは「峯岸みなみちゃんです」と答えた。続いて珠理奈の番。彼女はこう口にした
「みなさん、可愛いなあって思いました」
出演メンバー全員に配慮したとっさの機転である。しかし出番が終わると、珠理奈はSKE48劇場支配人の湯浅洋氏に、ほっとした表情を見せた。「湯浅さん、私、死にそうでした」
外見の凛として大人びた姿と、内に秘めたガラスのような繊細さ。その場の空気を読む機転と、頭の回転の速さ…
これが、松井珠理奈という少女の「本質」なのである
それから程なくして、SKE481期生のレッスンが始まった。倍率約120倍の狭き門を突破したのは22名。小学生から高校を卒業した子まで、経歴も個性もバラバラの集まりだった。デビューは2週間後に東京の日比谷野外音楽堂で行われるAKB48イベント内でのお披露目。振付師・牧野アンナ氏の指導は朝から晩まで12時間に渡り、ダンス経験者も悲鳴をあげたくなるほど、徹底的に振付を叩き込まれた
牧野氏が彼女たちに厳しいレッスンを課したのには理由があった。AKB48の姉妹グループだからといって、同じ方向を目指しては存在価値がない。まだ無名の少女たちが先輩に勝てることは、ただひとつ
「一所懸命にやること」
野球で例えるなら、アウトになるとわかっていても、必死にヘッドスライディングをする。そこで、観客から感動を勝ち取るしかないからだ。この”アンナイズム”こそがSKE48の基礎であり、その象徴が松井珠理奈というアスリート的アイドルに他ならないのである
レッスンが始まって1週間後。牧野氏はメンバーに問いかけた「今、一瞬の隙もなく『やり切っている』と胸を張って言える人、手を上げてください」
どれほど必死に頑張っていても、そう聞かれて手を挙げられる者は、そうはいないだろう。実際、メンバーのほとんどがその場で俯いた
ただひとり、松井珠理奈を除いては…
「みんな手を挙げると思っていたんです。だって、みんな一所懸命やっていたし」
珠理奈はシンプルにそう思ったが、大矢の胸中は対照的であった
「心の中でそう思っていても、そこまで自信はないし、あの場で手をあげられないじゃないですか。でも、珠理奈が手を挙げたのを見て『この子は違うな』と。同時に、手を挙げられなかった自分が、すごく悔しかった」
そして野音イベントの前日。キッチリ振りの揃ったSKE48のリハーサルを見て、密かに喜びを感じていたメンバーがいた。AKB48の4期生で、何人ものメンバーのアンダーをこなし、”鉄人”の異名を持つ中西優香。既にSKEへの移籍を決めていた、23人目の1期生であった
◆珠理奈、お帰り
SKE48のレッスンが始まって間もなく、松井珠理奈はセンターに指名された。しかもオーディション直後には、既にAKB48と一緒に仕事をすることも聞かされていた。それが新曲『大声ダイヤモンド』で前田敦子とのWセンターを務めることだと知り、珠理奈はプレッシャーに押し潰されそうになっていた
篠田麻里子のサポートもあり、AKBの選抜メンバーとは少しずつ打ち解けていったが、SKEの中では「あの子だけが、なぜ?」というピリピリした空気が漂っていた
珠理奈の盟友で、良き喧嘩仲間でもあった桑原みずきはこう語る
「正直、悔しかったですね。『PARTY』公演でも珠理奈はセンターで。それで喧嘩もしました。私がガキだったんです笑」
横一線だと思っていたスタートラインから、気がつけば珠理奈だけが頭ひとつ抜け出している。デビュー前のメンバーにしてみれば、嫉妬を覚えるのも無理からぬ話だろう
その気持ちが理解できるからこそ、珠理奈は「メンバーの前で弱音を吐くのはやめよう」と決めた。他の子だってできるなら自分のポジションに立ちたいはずだから…
『大声ダイヤモンド』と、SKE48の初公演「PARTYが始まるよ」のレッスンの掛け持ち。ふたつを同時に行うことは不可能だけど、どちらを優先していいか分からない…募る不安が、珠理奈を苦しめていた
そんな時に救いの手を差し伸べたのはやはり大矢真那だった
SKEのメンバーもやはり、小学生の身でたったひとり東京で仕事をしている珠理奈が心配だった。時折、大矢がマネージャーとの電話を代わってもらって「元気?」と聞くと「元気だよ!」という返事が返ってくる。それでも大矢は、珠理奈が寂しい思いをしていないか気にかかっていた
2008年9月16日。大矢はマネージャーに新幹線の到着時刻を聞き、東京で仕事をしている珠理奈を駅まで迎えに行った。新幹線から降りてきた珠理奈は、大矢の顔を見るなり飛びついて泣きじゃくった
その日の大矢の手帳には、こう記されている
ーー珠理奈、お帰り
そして迎えたSKE48の劇場デビューの日。自分で納得がいくまで練習ができないまま初日を迎えた珠理奈は、不安とプレッシャーに耐え切れず、まともに立っていられなくなってしまった
「本当に不安でパニックでした。お腹も痛いし、一番練習できていないのにセンターだったし。本当に苦しくて苦しくて、もうダメだって思いました」
SKEのスタッフは、”珠理奈を3曲だけ出そう”と判断した。だが、開演時刻直前に劇場に到着した総合プロデューサー・秋元康氏は、挨拶に来た珠理奈にこう言った
「珠理奈、出るよな?」
「センターに立つ」とはどういうことなのか。珠理奈は初めて、その意味を悟った。そして秋元氏に「はい」とだけ答えると、楽屋に戻り、わんわん泣いた。それは弱冠11歳の少女が、ポジション0番を務める者の「責任」を自覚した瞬間でもあった
参考文献
「SKE48 OFFICIAL HISTORY BOOK」
「プレイボーイ2012 まるごと一冊SKE48増刊号」
「BUBKA 2012年10月号 大矢真那・中西優香 私たちの珠理奈」
「週刊プレイボーイ AKB48ブレイク・ヒストリー」
松井珠理奈の足跡を振り返るうえで、もうひとり、欠かせないキーパーソンがいる
SKE481期生で、グループの立ち上げから現在まで、ずっと珠理奈を見守り、陰の支えとなってきた大矢真那だ
最終オーディションの直後、SKE48から2人が「AKB0じ59分(AKBINGO!の前身)」に出演することになり、そのメンバーに松井珠理奈と大矢真那が選ばれた
番組収録に向かう日、新幹線の乗り場で待っていた大矢(当時17歳)には、小学生の珠理奈がひどく大人びて見えた。自分から色々と話しかけてくる珠理奈と大矢はすぐに打ち解け、新幹線の揺れに合わせてオレンジジュースの紙コップが回るのを見てはしゃぐ姿に、大矢は「ああ、やっぱりこの子は小学生なんだな」と感じたという
「AKB0じ59分」の中で2人の出番は1分程度。”SKE48のメンバー決定!”という前振りの後に、それぞれがAKBの推しメンを答えるという企画だった
その時、珠理奈はAKBのメンバーを誰一人知らなかった。芸能界に憧れ、地元・愛知の活動なら家からも通えるという、ごくシンプルな理由でオーディションを受けていたからだ。大矢の推しメンは「峯岸みなみ」、珠理奈はその場でメンバーの写真を見て「小嶋陽菜」に決めた
そして本番。大矢は事前の打ち合わせ通り、推しメンは「峯岸みなみちゃんです」と答えた。続いて珠理奈の番。彼女はこう口にした
「みなさん、可愛いなあって思いました」
出演メンバー全員に配慮したとっさの機転である。しかし出番が終わると、珠理奈はSKE48劇場支配人の湯浅洋氏に、ほっとした表情を見せた。「湯浅さん、私、死にそうでした」
外見の凛として大人びた姿と、内に秘めたガラスのような繊細さ。その場の空気を読む機転と、頭の回転の速さ…
これが、松井珠理奈という少女の「本質」なのである
それから程なくして、SKE481期生のレッスンが始まった。倍率約120倍の狭き門を突破したのは22名。小学生から高校を卒業した子まで、経歴も個性もバラバラの集まりだった。デビューは2週間後に東京の日比谷野外音楽堂で行われるAKB48イベント内でのお披露目。振付師・牧野アンナ氏の指導は朝から晩まで12時間に渡り、ダンス経験者も悲鳴をあげたくなるほど、徹底的に振付を叩き込まれた
牧野氏が彼女たちに厳しいレッスンを課したのには理由があった。AKB48の姉妹グループだからといって、同じ方向を目指しては存在価値がない。まだ無名の少女たちが先輩に勝てることは、ただひとつ
「一所懸命にやること」
野球で例えるなら、アウトになるとわかっていても、必死にヘッドスライディングをする。そこで、観客から感動を勝ち取るしかないからだ。この”アンナイズム”こそがSKE48の基礎であり、その象徴が松井珠理奈というアスリート的アイドルに他ならないのである
レッスンが始まって1週間後。牧野氏はメンバーに問いかけた「今、一瞬の隙もなく『やり切っている』と胸を張って言える人、手を上げてください」
どれほど必死に頑張っていても、そう聞かれて手を挙げられる者は、そうはいないだろう。実際、メンバーのほとんどがその場で俯いた
ただひとり、松井珠理奈を除いては…
「みんな手を挙げると思っていたんです。だって、みんな一所懸命やっていたし」
珠理奈はシンプルにそう思ったが、大矢の胸中は対照的であった
「心の中でそう思っていても、そこまで自信はないし、あの場で手をあげられないじゃないですか。でも、珠理奈が手を挙げたのを見て『この子は違うな』と。同時に、手を挙げられなかった自分が、すごく悔しかった」
そして野音イベントの前日。キッチリ振りの揃ったSKE48のリハーサルを見て、密かに喜びを感じていたメンバーがいた。AKB48の4期生で、何人ものメンバーのアンダーをこなし、”鉄人”の異名を持つ中西優香。既にSKEへの移籍を決めていた、23人目の1期生であった
◆珠理奈、お帰り
SKE48のレッスンが始まって間もなく、松井珠理奈はセンターに指名された。しかもオーディション直後には、既にAKB48と一緒に仕事をすることも聞かされていた。それが新曲『大声ダイヤモンド』で前田敦子とのWセンターを務めることだと知り、珠理奈はプレッシャーに押し潰されそうになっていた
篠田麻里子のサポートもあり、AKBの選抜メンバーとは少しずつ打ち解けていったが、SKEの中では「あの子だけが、なぜ?」というピリピリした空気が漂っていた
珠理奈の盟友で、良き喧嘩仲間でもあった桑原みずきはこう語る
「正直、悔しかったですね。『PARTY』公演でも珠理奈はセンターで。それで喧嘩もしました。私がガキだったんです笑」
横一線だと思っていたスタートラインから、気がつけば珠理奈だけが頭ひとつ抜け出している。デビュー前のメンバーにしてみれば、嫉妬を覚えるのも無理からぬ話だろう
その気持ちが理解できるからこそ、珠理奈は「メンバーの前で弱音を吐くのはやめよう」と決めた。他の子だってできるなら自分のポジションに立ちたいはずだから…
『大声ダイヤモンド』と、SKE48の初公演「PARTYが始まるよ」のレッスンの掛け持ち。ふたつを同時に行うことは不可能だけど、どちらを優先していいか分からない…募る不安が、珠理奈を苦しめていた
そんな時に救いの手を差し伸べたのはやはり大矢真那だった
SKEのメンバーもやはり、小学生の身でたったひとり東京で仕事をしている珠理奈が心配だった。時折、大矢がマネージャーとの電話を代わってもらって「元気?」と聞くと「元気だよ!」という返事が返ってくる。それでも大矢は、珠理奈が寂しい思いをしていないか気にかかっていた
2008年9月16日。大矢はマネージャーに新幹線の到着時刻を聞き、東京で仕事をしている珠理奈を駅まで迎えに行った。新幹線から降りてきた珠理奈は、大矢の顔を見るなり飛びついて泣きじゃくった
その日の大矢の手帳には、こう記されている
ーー珠理奈、お帰り
そして迎えたSKE48の劇場デビューの日。自分で納得がいくまで練習ができないまま初日を迎えた珠理奈は、不安とプレッシャーに耐え切れず、まともに立っていられなくなってしまった
「本当に不安でパニックでした。お腹も痛いし、一番練習できていないのにセンターだったし。本当に苦しくて苦しくて、もうダメだって思いました」
SKEのスタッフは、”珠理奈を3曲だけ出そう”と判断した。だが、開演時刻直前に劇場に到着した総合プロデューサー・秋元康氏は、挨拶に来た珠理奈にこう言った
「珠理奈、出るよな?」
「センターに立つ」とはどういうことなのか。珠理奈は初めて、その意味を悟った。そして秋元氏に「はい」とだけ答えると、楽屋に戻り、わんわん泣いた。それは弱冠11歳の少女が、ポジション0番を務める者の「責任」を自覚した瞬間でもあった
参考文献
「SKE48 OFFICIAL HISTORY BOOK」
「プレイボーイ2012 まるごと一冊SKE48増刊号」
「BUBKA 2012年10月号 大矢真那・中西優香 私たちの珠理奈」
「週刊プレイボーイ AKB48ブレイク・ヒストリー」
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