Jyuri-Jyuri BABY

松井珠理奈さんに関する記事や、これまでの軌跡を掲載しています

May 2015

◆松井玲奈という存在

SKE48初のシングル『強き者よ』。王道アイドル路線とは一線を画すこのタイトルは、デビューから続く松井珠理奈の「戦い」を象徴するものでもあった

楽曲をもらった当時、珠理奈もそう感じたという。「私たちは強き者にならなきゃいけないのか、戦わなければならないんだ、と思いました」

いつかAKB48を超えようーー。メンバーたちと誓い合った目標をファンも後押しした。公演の最後に歌うSKE48の『大声ダイヤモンド』を「勢いがあって良いね」と称賛する声に、珠理奈もSKEのメンバーたちも「自分たちはこれでいいんだ」と確信を持った
2009年秋には新公演『制服の芽』がスタート。レッスン期間はわずか1週間で、珠理奈のセンター曲『思い出以上』も当初は小道具を用いる予定だったが「珠理奈がいるんだから道具でごまかさないでダンスで勝負して」と、秋元康氏から直前に修正が入った。グループ屈指のハードなパフォーマンスを求められるセットリストだったが、珠理奈をはじめチームSのメンバーは苦しみながらもこの公演を徐々に自分たちのものにしていった

ここまでバッシングに耐えながら、ひたむきに頑張ってきた珠理奈。その目の前に、もうひとつの壁が立ち塞がることになる。SKEのW松井と称される松井玲奈の存在である

image

「珠理奈以外のSKE48のメンバーで最初にセンターになりたいと思ったのは、私なんじゃないかと思うんです」

そう語る玲奈は、第1回AKB48選抜総選挙で29位、第2回は10位の珠理奈に迫る11位に順位を伸ばしてきた。しかもその年の7月に開催されたSKE48初のリクエストアワーでは、玲奈のソロ曲『枯葉のステーション』が第1位に輝く

年齢も違えば性格も正反対。目指す方向も異なるふたりをライバルと見なすファンが増えていくことに、珠理奈は戸惑っていた。名字が同じだけなのに、なぜ比べられるのだろう…。先にAKB48の選抜に入っていた分、気にせざるを得なかった。テレビの収録で失敗したり、 公演でダンスの振りを間違えたり…そんな小さなミスも重なって、傷だらけの少女の心は悲鳴を上げていた

もう、これ以上は無理かもしれない…

「少しだけ考える時間が欲しい」ある日、珠理奈はスタッフにお願いして半日の休みをもらった。しかし、考えれば考えるほど、気持ちは底なしの泥沼に引き込まれていった。自分は芸能界に向いていないかもしれない。もうメンバーにもスタッフにも会いたくない…。結局、その日は一日、家を出ることができなかった

そんな珠理奈を奮い立たせたのは、デビューから陰で珠理奈を支えてきた、彼女の母の言葉であった

仕事から戻って、ベッドにくるまったままの珠理奈を見て、彼女の母は叱咤した

「明日は絶対、仕事に行きなさい! 行ってジタバタしてきなさい!」

それは珠理奈が初めてもらったユニット曲『Glory days』のフレーズでもあった

もっとジタバタしながら
あちこち傷を作ればいい
First time 痛くたって
いつかカサブタになるだろう
血を流したその後は
強い自分になれるはず…

まだ頭で考えても答えを出せないこともある。それができないうちは、進まなければ見えないこともあるんだと、そう言った後に、母はパソコンの画面を珠理奈に見せた

「みんな、待ってるよ」

そこには、珠理奈のブログのコメント欄に書き込まれた大勢のファンの温かい声があった。珠理奈の頬を熱い涙が伝った

明日は行こう。大人ぶってないで、ジタバタしよう…
13歳の少女は、再び、自分との戦いに臨もうと決めた

◆悪夢の総選挙

2011年3月にはSKE48の5thシングル『バンザイVenus』が初のオリコン・ウィークリーランキング1位を獲得。ドラマ『マジすか学園2』では主要キャラクターのひとり「センター」役を演じ、渡辺麻友(ネズミ)とともに「センネズ」コンビと呼ばれるようになる

だがこの年も、松井珠理奈にとっては厳しい戦いを強いられる一年となった

ドラマ収録中にも体調不良が報じられ、コンサートも一部欠席するなど、決してベストとはいえないコンディションで迎えた第4回のAKB48選抜総選挙。SKE48の顔として、ひとつでも上位にいかなければという本人の思いとは反対に、珠理奈は14位にランクダウン。一方の松井玲奈は10位に順位を上げた。ファンの前では涙を流すまいと気丈に「どのポジションにいっても皆さんに感謝の気持ちをお伝えすることができるよう、自分の居場所があることに感謝して、一歩一歩進んでいきたいと思います」とスピーチしたが、舞台裏では中西優香、桑原みずきに支えられながら悔しさに号泣する珠理奈の姿があった

image

その時の様子を、桑原はブログでこう記している

…ステージには少し大人になった珠理奈がいました。でも珠理奈の気持ちは痛いほど分かったし、みぃはすごい悔しかった

選挙後のインタビューでは「SKEでも努力すれば、総選挙の舞台に上がれる。何よりも自分たちは間違っていなかったって、メンバー全体にすごく刺激になったと思います。今後もみんなで高め合っていきたいです」とSKE48の飛躍を期す気持ちを語ったが、その陰で責任感の強い珠理奈は「自分がセンターでいいのだろうか?」と、苦悩していくことになる

ちなみにSKE48の支配人・湯浅洋氏は、エースの珠理奈がメディア選抜から落ちたことの痛手を語るとともに、こうも話している

「今回はこうなったけど、珠理奈はまた絶対違う形で出てくると思う」
「今まで必要以上にパワーを出してたけど、弱いところを見せても良いと思うし、だからメンバーは守ってあげて欲しい」

SKE48の人気が徐々に全国へと広がりを見せていくのとは対照的に、珠理奈は一年を通して体調不良に悩まされ続けた

常に、心身ともに全力で仕事に臨まなければならない

そんな幼いプロ意識を、我々は責めるべきではないだろう。わずか11歳でAKB48の中心に放り込まれ、それと同時に、誕生したばかりのSKE48のセンターという重圧を背負ってきた少女なりの、精一杯の結果であったのだから…

その証左として、この年、14歳となった珠理奈のバースディに、メンバーから贈られたブログ等のメッセージの一部を紹介しておきたい

平田璃香子(チームSリーダー)「デビュー当時の写真から見ると…じゅりたん、ちょっぴり大人な雰囲気になったなって思います。きっとそれは…りかこ達にもわからないくらいの見えない努力やプレッシャーに負けず、SKEの代表としてのお仕事など、多くの経験があったからだと思います。じゅりたんはすごい。この前『スター姫さがし太郎』の珠理奈密着!珠理奈大陸を見て…すごいそう思ったの!」

佐藤実絵子「小学生だったじゅりなも、もうすぐ中3ですねー。しみじみ(=´∀`=)私たちSKEは、じゅりなの大きなパワーに引っ張られてここまで来ました。私も同じ一期生の仲間!頑張りやさんのじゅりなが大好きです♪ これから先も、じゅりなの毎日が輝いていますように」

桑原みずき「前、楽屋で珠理奈がいきなり『あたしのアンダーはみぃじゃないと嫌なの』って泣きながら言ってくれたことがあって…その時はびっくりしたけど、みぃも泣きそうになるくらい嬉しくて、笑ってありがとうって言った。その時からもっとステージで輝けるように頑張ろうと思ったし、体調が悪くても珠理奈の言葉を思い出せば、平気になった。ホテルの部屋や、待ち時間に見る珠理奈はたまにプレッシャーに押し潰されそうになっちょったり、体調を崩しちょったり、本当にしんどい時もあるがやろうなって思う。それでも頑張る珠理奈にみんな励まされゆう。いつも全力投球な珠理奈が大好き‼︎ 負けず嫌いで、絶対に弱音を吐かん。最初の頃から変わらん、珠理奈のいいところです」

高田志織「4月から中学三年生になるって聞いて、本当にビックリした!大きくなったんだなって。ついこの間まで、小学生だったのに早いもんですな。お母さんみたい?笑 じゅりなのひとつひとつのお仕事を絶対に妥協しないところ…格好いいと思う! しっかり者のじゅりなだけど、お姉ちゃんメンバーには甘えていーんだぞ。これからもじゅりならしくね‼︎ 」

(続く)

参考文献
「SKE48 OFFICIAL HISTORY BOOK」
「プレイボーイ2013 まるごと一冊SKE48増刊号」
「AKB48総選挙 水着サプライズ発表2011」
「BUBKA 2011年8月号」
「FLASH2013 まるっとSKE48スペシャル増刊号」
「週刊朝日 AKB48あなたがいてくれたから リレーインタビュー第4回」
「street Jack 2015年4月号」

◆バッシングの嵐に巻き込まれて

SKE48の劇場初公演から約2週間後の、2008年10月22日。キングレコードに移籍後初となるAKB48の10thシングル『大声ダイヤモンド』がリリースされた。オリコンのウィークリーランキングは第3位。AKB48にとって、過去最高の売り上げである

前年の紅白歌合戦では「秋葉原の企画系アイドル」として紹介されるにとどまり、「AKB48はこれ以上、上にはいけないんじゃないか」という停滞感が漂っていた。『大声ダイヤモンド』のヒットが、そうしたメンバーたちの意識に、再び火をつけたのである

前田敦子もこう証言している
「『大声ダイヤモンド』からは、また頑張ろう!って、みんなで力を合わせてっていうのは覚えてるんですけど。SKE48の松井珠理奈が選抜に入ったのが大きかったんじゃないかなって思います」

しかしその一方で、松井珠理奈はアンチのバッシングに晒されることとなった

「ふざけるな!」
「SKEの小学生に何ができる!」

全国握手会で前田敦子らと同じレーンに立っていた珠理奈は、大勢のファンからひとりだけスルーされた。それだけではない。特定のメンバーを選ぶことができる個別握手会でも、わざわざ珠理奈を選んで握手をスルーしたり、暴言を吐きにくる者までいたのである。彼らにしてみれば、AKB48に愛着を持っているがゆえの行動だったのかもしれない。けれど、それが11歳の少女の心に深い傷をつけたのは紛れもない事実である。自ら望んでその位置に立った訳ではない。それなのに…

だが、珠理奈はそうした嫌がらせを、涙とともに呑み込んだ

自分がこうしてAKBの選抜に入っていることが、名古屋で待っているSKE48のメンバーやファンのためになるんだ

そして、この人たちに、いつか認めてもらおう…

「珠理奈がAKB48に来てくれてよかった」そう言って、応援してもらえるようになろう

珠理奈のその思いは、現在も変わってはいない

image

同じ頃、前田の気持ちにも大きな変化が起きていた。はじめは「年の離れた後輩ができた」と思っていた珠理奈と、事あるごとに比べられる。プロデューサーの秋元康氏からも、毎回「どうしますか? 前田はセンターをできますか?」というメールが来た。どうせ自分のことなんて何とも思っていない…そんな風に感じていた前田も、珠理奈の加入を機に、センターに立つことの意味を初めて意識し、自ら進んでその立ち位置にいることを望んだのである

◆いつか、AKBを超える!

2009年1月25日。SKE48にとって初めてのオリジナル公演が1か月後にスタートすることが発表された。公演の表題曲である『手をつなぎながら』は、秋元康総合プロデューサーが、「辛くて脱落しそうな子も出てくるだろうけど、ひとりも欠けることなく一緒に進んでいってほしい」というメッセージを込めたものである

指導にあたった牧野アンナ氏は、AKB48と個性の差別化を図るため、メンバーに徹底したユニゾンを求めた。コンセプトは「一体感」。全員が細部まで揃った動きをするには辛く厳しいレッスンが必要だが、それをやり遂げることで、チームがひとつになる。それは、松井珠理奈を中心としたSKE48というグループの原風景であり、連綿と続くカラーともなっていく

『手をつなぎながら』公演で珠理奈が貰ったユニット曲は『Glory days』。彼女がエースとして輝きはじめていたのと、キレのあるダンスを生かそうと秋元氏が思い描いて作ったものだ
珠理奈をセンターに、ダンスに定評のある桑原みずき、AKB48での経験も持つ中西優香が脇を固める。レッスンを重ねるごとに3人のレベルは上がっていき、本番当日には牧野氏が急遽振り付けを変更、さらに激しいものに変更したほどである

image


2月14日のバレンタインデーに初日を迎えた『手をつなぎながら』公演は大成功に終わった。歌詞と曲、衣装、振り付け、メンバーたちのダンスパフォーマンス…完成度の高さが評判を呼び、やがてファンの間で「神公演」と評されるようになる。そして、センターを務める珠理奈の持つ圧倒的な輝きに、秋元康氏が「十年に一人の逸材」と認めた理由を見つけるファンも、着実に数を増していった

同年、初めて行われたAKB48の第1回選抜総選挙でも、珠理奈は19位にランクイン。ファン投票という"アンチ"と対峙しなくてはならないイベントで、選抜入りを果たす

image

さらに、8月にはSKE48初のシングル曲『強き者よ』をリリース。AKB48の選抜も務めながら、ホームのSKEでも「初めての課外授業」「天下を取るぜ‼︎」「名古屋一揆」と、単独コンサートを次々に成功させていった

いつかAKB48を超えるーー

SKE48のメンバーたちと、劇場公演の初日に誓い合った約束。その象徴が ”センター・松井珠理奈” であり、彼女自身にも、既にSKEを背負っているという確固たる自覚があった


参考文献
「SKE48 OFFICIAL HISTORY BOOK」
「プレイボーイ2012 まるごと一冊SKE48増刊号」
「BUBKA 2012年10月号 SKEは天下をとれるのか」
「FLASH2013 まるっとSKE48スペシャル増刊号」

◆常に、全力で

松井珠理奈の足跡を振り返るうえで、もうひとり、欠かせないキーパーソンがいる
SKE481期生で、グループの立ち上げから現在まで、ずっと珠理奈を見守り、陰の支えとなってきた大矢真那だ
最終オーディションの直後、SKE48から2人が「AKB0じ59分(AKBINGO!の前身)」に出演することになり、そのメンバーに松井珠理奈と大矢真那が選ばれた

番組収録に向かう日、新幹線の乗り場で待っていた大矢(当時17歳)には、小学生の珠理奈がひどく大人びて見えた。自分から色々と話しかけてくる珠理奈と大矢はすぐに打ち解け、新幹線の揺れに合わせてオレンジジュースの紙コップが回るのを見てはしゃぐ姿に、大矢は「ああ、やっぱりこの子は小学生なんだな」と感じたという

「AKB0じ59分」の中で2人の出番は1分程度。”SKE48のメンバー決定!”という前振りの後に、それぞれがAKBの推しメンを答えるという企画だった

その時、珠理奈はAKBのメンバーを誰一人知らなかった。芸能界に憧れ、地元・愛知の活動なら家からも通えるという、ごくシンプルな理由でオーディションを受けていたからだ。大矢の推しメンは「峯岸みなみ」、珠理奈はその場でメンバーの写真を見て「小嶋陽菜」に決めた

image


そして本番。大矢は事前の打ち合わせ通り、推しメンは「峯岸みなみちゃんです」と答えた。続いて珠理奈の番。彼女はこう口にした

「みなさん、可愛いなあって思いました」

出演メンバー全員に配慮したとっさの機転である。しかし出番が終わると、珠理奈はSKE48劇場支配人の湯浅洋氏に、ほっとした表情を見せた。「湯浅さん、私、死にそうでした」

外見の凛として大人びた姿と、内に秘めたガラスのような繊細さ。その場の空気を読む機転と、頭の回転の速さ…

これが、松井珠理奈という少女の「本質」なのである

それから程なくして、SKE481期生のレッスンが始まった。倍率約120倍の狭き門を突破したのは22名。小学生から高校を卒業した子まで、経歴も個性もバラバラの集まりだった。デビューは2週間後に東京の日比谷野外音楽堂で行われるAKB48イベント内でのお披露目。振付師・牧野アンナ氏の指導は朝から晩まで12時間に渡り、ダンス経験者も悲鳴をあげたくなるほど、徹底的に振付を叩き込まれた

牧野氏が彼女たちに厳しいレッスンを課したのには理由があった。AKB48の姉妹グループだからといって、同じ方向を目指しては存在価値がない。まだ無名の少女たちが先輩に勝てることは、ただひとつ

「一所懸命にやること」

野球で例えるなら、アウトになるとわかっていても、必死にヘッドスライディングをする。そこで、観客から感動を勝ち取るしかないからだ。この”アンナイズム”こそがSKE48の基礎であり、その象徴が松井珠理奈というアスリート的アイドルに他ならないのである

レッスンが始まって1週間後。牧野氏はメンバーに問いかけた「今、一瞬の隙もなく『やり切っている』と胸を張って言える人、手を上げてください」

どれほど必死に頑張っていても、そう聞かれて手を挙げられる者は、そうはいないだろう。実際、メンバーのほとんどがその場で俯いた

ただひとり、松井珠理奈を除いては…

「みんな手を挙げると思っていたんです。だって、みんな一所懸命やっていたし」

珠理奈はシンプルにそう思ったが、大矢の胸中は対照的であった

「心の中でそう思っていても、そこまで自信はないし、あの場で手をあげられないじゃないですか。でも、珠理奈が手を挙げたのを見て『この子は違うな』と。同時に、手を挙げられなかった自分が、すごく悔しかった」

そして野音イベントの前日。キッチリ振りの揃ったSKE48のリハーサルを見て、密かに喜びを感じていたメンバーがいた。AKB48の4期生で、何人ものメンバーのアンダーをこなし、”鉄人”の異名を持つ中西優香。既にSKEへの移籍を決めていた、23人目の1期生であった

◆珠理奈、お帰り

SKE48のレッスンが始まって間もなく、松井珠理奈はセンターに指名された。しかもオーディション直後には、既にAKB48と一緒に仕事をすることも聞かされていた。それが新曲『大声ダイヤモンド』で前田敦子とのWセンターを務めることだと知り、珠理奈はプレッシャーに押し潰されそうになっていた

image

篠田麻里子のサポートもあり、AKBの選抜メンバーとは少しずつ打ち解けていったが、SKEの中では「あの子だけが、なぜ?」というピリピリした空気が漂っていた

珠理奈の盟友で、良き喧嘩仲間でもあった桑原みずきはこう語る
「正直、悔しかったですね。『PARTY』公演でも珠理奈はセンターで。それで喧嘩もしました。私がガキだったんです笑」

横一線だと思っていたスタートラインから、気がつけば珠理奈だけが頭ひとつ抜け出している。デビュー前のメンバーにしてみれば、嫉妬を覚えるのも無理からぬ話だろう

その気持ちが理解できるからこそ、珠理奈は「メンバーの前で弱音を吐くのはやめよう」と決めた。他の子だってできるなら自分のポジションに立ちたいはずだから…

『大声ダイヤモンド』と、SKE48の初公演「PARTYが始まるよ」のレッスンの掛け持ち。ふたつを同時に行うことは不可能だけど、どちらを優先していいか分からない…募る不安が、珠理奈を苦しめていた

そんな時に救いの手を差し伸べたのはやはり大矢真那だった

SKEのメンバーもやはり、小学生の身でたったひとり東京で仕事をしている珠理奈が心配だった。時折、大矢がマネージャーとの電話を代わってもらって「元気?」と聞くと「元気だよ!」という返事が返ってくる。それでも大矢は、珠理奈が寂しい思いをしていないか気にかかっていた

2008年9月16日。大矢はマネージャーに新幹線の到着時刻を聞き、東京で仕事をしている珠理奈を駅まで迎えに行った。新幹線から降りてきた珠理奈は、大矢の顔を見るなり飛びついて泣きじゃくった
その日の大矢の手帳には、こう記されている

ーー珠理奈、お帰り


そして迎えたSKE48の劇場デビューの日。自分で納得がいくまで練習ができないまま初日を迎えた珠理奈は、不安とプレッシャーに耐え切れず、まともに立っていられなくなってしまった

「本当に不安でパニックでした。お腹も痛いし、一番練習できていないのにセンターだったし。本当に苦しくて苦しくて、もうダメだって思いました」

SKEのスタッフは、”珠理奈を3曲だけ出そう”と判断した。だが、開演時刻直前に劇場に到着した総合プロデューサー・秋元康氏は、挨拶に来た珠理奈にこう言った

「珠理奈、出るよな?」

「センターに立つ」とはどういうことなのか。珠理奈は初めて、その意味を悟った。そして秋元氏に「はい」とだけ答えると、楽屋に戻り、わんわん泣いた。それは弱冠11歳の少女が、ポジション0番を務める者の「責任」を自覚した瞬間でもあった

参考文献
「SKE48 OFFICIAL HISTORY BOOK」
「プレイボーイ2012 まるごと一冊SKE48増刊号」
「BUBKA 2012年10月号 大矢真那・中西優香 私たちの珠理奈」
「週刊プレイボーイ AKB48ブレイク・ヒストリー」

◆あの子は、誰だ⁉︎

2008年。知名度と人気こそ徐々に上がってはいたが、当時のAKB48は”アキバ枠”という世間の先入観をまだ拭い去れずにいた。「会いに行けるアイドル」は、この時、アングラからメジャーへと飛躍する過渡期にあった

その年の10月、レコード会社を移籍したAKB48が約8か月ぶりにリリースしたシングルが『大声ダイヤモンド』。ファン待望のCDジャケットを飾ったのは、多くのファンが見も知らぬ、ひとりの少女だった
松井珠理奈、この時、11歳。

姉妹グループとして愛知県名古屋市に誕生したSKE48の第1期生であり、しかもAKB48のニューシングルで、前田敦子とのWセンターを務めるという驚愕の大抜擢であった


時計の針を少しだけ巻き戻そうー

その年の7月。48グループ全国展開の第1弾として結成されるSKE48のメンバー最終オーディションが、愛知県名古屋市で行われていた。49番目の珠理奈が歌唱審査に選んだ曲は、絢香の「三日月」。誰もが耳にしたことのあるヒット曲だ

image


だが、いざその番が来ると、カラオケの機械が故障し、あげくに「 三日月」も入っていないという。順番を最後にされた珠理奈は、慌てて倖田來未の「anytime」を選曲。歌詞はしっかり覚えているのだからと、目を閉じ、精一杯、心を込めて歌った
その姿が、プロデューサー・秋元康氏の"ソナー"に引っかかった。既に合格者は大方決まっていたが、秋元氏はオーディションの最後に、とびきりの輝きを放つダイヤモンドの原石を見つけたのである


同日、秋葉原のAKB48劇場ではチームA公演が行われていた。最後に高橋みなみが「今日はSKE48の最終オーディションの日です。ある方と電話が繋がっています!」と言ったその後に、劇場に響いたのは秋元康氏の声であった

「最終オーディションで、すごい子がいました。絶対にスターになるでしょう。原石です!」

その言葉は、客席のファンのみならず、メンバーにとっても大きな衝撃となったのであった


◆麻里子様ーっ‼︎

『大声ダイヤモンド』の選抜リストを目にした時、メンバーたちは目を疑った。そこには「松井珠理奈」という見覚えのない名が記されていた。秋元康プロデューサーから事前に話を聞かされていた前田敦子が説明する。「SKE48の子だって。その子がセンターらしいよ」

AKBのメンバーたちが戸惑いを隠せないなか、珠理奈がAKBの選抜メンバーと合流できたのは、リリースの1か月前だった。凛とした佇まいで「よろしくお願いします」とお辞儀をする珠理奈の姿に、峯岸みなみはこんな印象を持ったという。「初めて珠理奈を見た時の印象は『シャキッとしてるな』って。それが私には『なるべくしてセンターになった』と思えたんです」
一方の珠理奈はどういう心境だったのだろう。後のインタビューで、彼女は11歳の小学生らしい等身大の胸の内を明かしている

「AKB48さんと初めて一緒に踊るのは本当に緊張しました。しかも、私が練習に行った時にAKB48さんはほとんど完璧な状態で、ついていけないとヤバイと思いました」

SKE48の杮落とし「PARTYが始まるよ」公演のレッスンも重なって、珠理奈は不安に押し潰されそうになっていた。SKEのメンバーに隠れて涙することもあったという。それでも、胸には秘めた決意があった。それは、公演のレッスン初日にSKEのメンバーと誓った「AKB48を超える!」という目標。そして、自分がAKBの選抜として出ていくことは「SKE48の存在を多くの人に知ってもらえる」ことに繋がるんだという、SKEを愛する献身にも似た思いであった

経験者揃いのAKB選抜のなか、新人で最年少の珠理奈は自分がミスをする度に、申し訳なさと悔しさを感じ、ひとり苦しんでいた。ある時、全員で振りを合わせる練習で、自分の立ち位置がわからなくなり、頭の中が真っ白になった。その時、珠理奈の背中をポンと押し、「そっちじゃない。こっちだよ」というように立ち位置を教えてくれたメンバーがいた

それは、今も珠理奈が実の姉のように慕う篠田麻里子だった。「この人が背中を押してくれなければ頑張れなかった」というほど、その時の珠理奈にとって、篠田の手は温かいものだった

先輩たちに迷惑をかけるまいと、人一倍責任感の強い珠理奈は、休憩中も食事を取らずにレッスンをしていた。そんな時にも、篠田は優しく声をかけ、弁当を持ってきてくれた。メイクの時も遠慮がちにしていると「珠理奈を先にやってあげて」と気遣った。珠理奈のサインを一緒に考えたのも篠田。『大声ダイヤモンド』のジャケット撮影の時に、珠理奈が「麻里子様ーっ!」と叫んでいる写真が使われたのは有名なエピソードである

image


篠田自身は、当時の珠理奈をどう見ていたのだろうか

「誰も辛く当たることはなかったけど、最初はどうしても孤立してしまいがちだった。その姿を見ていたら胸が苦しくなって、なんとかしてあげたいと思いました」

篠田自身もAKB48の1期生オーディションに落ち、カフェのアルバイトから人気投票で抜擢されてメンバー入りした経歴を持つ。一から手探りでチームを作り上げたメンバーから見れば「何でこの子が入ってくるの?」という気持ちになるに違いない。相手の立場になって考えることができるからこそ、篠田はオリメンたちとの間に壁を感じ、居心地の悪い思いをしてきたのだ

「私だけ、どうして後から入っちゃったんだろう……そんな寂しかった当時の自分を珠理奈にだぶらせていたのかもしれません。だけど珠理奈は私ではない。私が変に気を使ったら、余計に嫌な思いをさせるかもしれない。私が話しかけて、珠理奈が答えてくれるとも限らない……そう躊躇っていた時に、母の言葉を思い出しました」

見返りを求めるなら、やらないほうがいい。人に優しくする時は、自分のためじゃなく、その人のためにやりたいからやるんだと思いなさい。そんな母の言葉に背中を押されるように、篠田は珠理奈に声をかけた

「珠理奈が来てくれて、嬉しいよ」

それは、あたかも、かつての自分に語りかけるように……

(続く)

参考文献
「AKB48ヒストリー 研究生公式教本」
「プレイボーイ2013まるごと一冊SKE48増刊号」
「FLASH2013 まるっとSKE48スペシャル増刊号」
「週刊朝日 AKB48あなたがいてくれたから リレーインタビュー第4回」
「AKB48ヒストリー 研究生公式教本」
「SKE48 OFFICIAL HISTORY BOOK」
「プレイボーイ2013 まるごと一冊SKE48増刊号」

このページのトップヘ